71年ぶりの大改定!日本語ローマ字表記の「推奨形式」がヘボン式に変わった理由と知っておきたい全知識

2025年12月22日、日本語のローマ字表記に関する内閣告示が71年ぶりに改定されました。1954年から「訓令式」を原則としてきた国の方針が見直され、パスポートや道路標識で広く使われてきた「ヘボン式」が新たな基本ルールとなったのです。
この記事では、ローマ字がたどってきた400年以上の歴史、訓令式とヘボン式の具体的な違い、それぞれの一覧表、そして改定がわたしたちの暮らしに与える影響まで、教養として押さえておきたいポイントを幅広く取り上げます。

目次

ローマ字の歴史──400年前の宣教師から令和の閣議決定まで

安土桃山時代:最初のローマ字は「ポルトガル式」だった

日本語をアルファベットで書き表した最古の資料は、16世紀後半にさかのぼります。1592年に天草で刊行された『天草版平家物語』や、1603年に長崎で編纂された『日葡辞書(にっぽじしょ)』は、いずれもポルトガル人宣教師たちが布教のために日本語を学ぶ目的で作成したものでした。

興味深いことに、『天草版平家物語』では「平家」を「FEIQE」と綴っています。当時の日本語では「は行」の子音がまだ「ふぁ・ふぃ・ふ・ふぇ・ふぉ」に近い音で発音されていたことを、ポルトガル式のローマ字が記録していたわけです。ローマ字は、その時代の日本語の発音を映す鏡でもあります。

しかし、江戸幕府の鎖国政策によってキリシタン文献は弾圧を受け、ローマ字表記は200年以上にわたって途絶えることになります。

幕末・明治:ヘボン式の誕生

開国後の1859年、アメリカ長老派教会の医師・宣教師であるジェームス・カーティス・ヘボン(James Curtis Hepburn)が横浜に到着しました。ヘボンは医療活動のかたわら日本語の研究に打ち込み、1867年に日本初の本格的な和英辞典『和英語林集成(わえいごりんしゅうせい)』を上海で出版します。

この辞書の初版と再版(1872年)では、日本語の見出し語にローマ字が使われていましたが、まだ表記は統一されていませんでした。1886年に出版された第3版で、「羅馬字会(ローマじかい)」が提唱したつづり方が採用され、これが「ヘボン式」と呼ばれるようになります。羅馬字会は社会学者の外山正一や、イギリス人日本研究者バジル・ホール・チェンバレンらが中心となって1885年に設立した団体で、英語の発音体系をベースにした表記法を推し進めました。

明治~昭和初期:日本式ローマ字と訓令式の成立

ヘボン式に対して、「日本語の音韻体系に即したローマ字をつくるべきだ」と声を上げたのが物理学者の田中館愛橘(たなかだて あいきつ)です。1885年、田中館は五十音図の規則性をそのまま反映した「日本式ローマ字」を提唱しました。サ行の子音はすべて「s」、タ行の子音はすべて「t」で統一するという方式で、日本語話者にとって体系的で覚えやすいのが特長です。

明治以降、ヘボン式・日本式・その他の表記が混在する状態が続いたため、1937年(昭和12年)に内閣訓令第3号が出され、日本式をベースに整理した「訓令式」が公式のローマ字として定められました。

戦後の1954年(昭和29年)、改めて内閣告示第1号として「ローマ字のつづり方」が告示されます。このとき訓令式は「第1表」に位置づけられ原則として使用するものとされましたが、「第2表」にヘボン式のつづりが記載され、「国際的関係その他従来の慣行を直ちに改めがたい事情にある場合」に限って使用できるとされました。

令和:71年ぶりの大改定

2024年5月、文部科学大臣が文化審議会に「これからの時代におけるローマ字使用の在り方について」を諮問しました。2025年8月に文化審議会が答申を取りまとめ、同年12月16日の閣議決定を経て、12月22日に令和7年内閣告示第4号「ローマ字のつづり方」が告示されました。1954年の内閣告示は同時に廃止されています。

新しい告示では、従来の第1表・第2表の二本立てをやめ、「本表」を一つだけ設ける形に変更されました。本表に採用されたつづりは、社会で広く使用されている「shi」「chi」「tsu」「fu」「ji」といった、いわゆるヘボン式に準じたものです。

2025年12月の改定で何が変わったのか

今回の改定を端的にまとめると、次の3点に集約されます。

第一に、表が一つに統合されたこと。従来の二つの表による「どちらを使えばいいのか」という迷いを解消し、社会で実際に使われているヘボン式ベースのつづりを本表に採用しました。

第二に、長音の書き方が改善されたこと。母音字の上に符号を付ける原則は維持しつつ、符号は従来のサーカムフレックス(^)からマクロン(¯)に変更されました。さらに、符号を使わない場合は「母音字を並べて書く」方法も認められ、その際のつづりは現代仮名遣いに合わせます。たとえば「東北」はマクロンを使えば「Tōhoku」、母音字を並べれば「Touhoku」となります。

第三に、社会に定着している慣用を尊重する姿勢が明確にされたこと。人名や団体名、国際的に定着した表記(「judo」「matcha」など)については当事者の意思を尊重し、直ちに変更を求めないとされています。大谷翔平選手の「OHTANI」や、自動車メーカーの「Mazda」も、そのまま使い続けてかまいません。

なお、文化庁のQ&Aでは「ヘボン式に統一するということではない」と明記されています。訓令式のつづりは「本表に示すもの以外のつづり方にも意義や用途がある」と位置づけられ、たとえばパソコンのローマ字入力で「ti」と打って「ち」を出す操作は今後も変わりません。

訓令式とヘボン式──つづりが異なる音の比較表

訓令式とヘボン式で表記が異なるのは、五十音のうち特定の行と拗音に限られます。ア行・カ行・ナ行・マ行・ヤ行・ラ行・ワ行・ガ行・バ行・パ行は両方式で同一です。以下の表は、つづりが食い違う音だけを抜き出したものです。

仮名訓令式ヘボン式用例(日本語)訓令式の例ヘボン式の例
sishi渋谷SibuyaShibuya
tichi秩父TitibuChichibu
tutsuTuTsu
hufu福島HukusimaFukushima
ziji富士HuziFuji
しゃsyasha社長syatyôshachō
しゅsyushu出発syuppatushuppatsu
しょsyosho書道syodôshodō
ちゃtyacha抹茶mattyamatcha
ちゅtyuchu中央tyûôchūō
ちょtyocho長野TyônoChōno
じゃzyaja邪魔zyamajama
じゅzyuju柔道zyûdôjūdō
じょzyojo女性zyoseijosei

このように、両方式の違いは主にサ行・タ行・ハ行の一部と、ザ行の「じ」、そして拗音に集中しています。逆に言えば、それ以外の音は両方式とも共通しているため、混在が起きやすいのはこれらの限られた音にとどまります。

訓令式ローマ字 一覧表(旧内閣告示 第1表)

1954年の内閣告示第1号で「第1表」に掲げられていた訓令式のつづりです。2025年12月22日の新内閣告示によって廃止されましたが、日本語の五十音の規則性がそのまま反映された体系として、言語学的な価値は変わりません。

訓令式 清音・撥音

ア段イ段ウ段エ段オ段
ア行aiueo
カ行kakikukeko
サ行sasisuseso
タ行tatituteto
ナ行naninuneno
ハ行hahihuheho
マ行mamimumemo
ヤ行yayuyo
ラ行rarirurero
ワ行wao(を)
撥音n

訓令式 濁音・半濁音

ア段イ段ウ段エ段オ段
ガ行gagigugego
ザ行zazizuzezo
ダ行dazi(ぢ)zu(づ)dedo
バ行babibubebo
パ行papipupepo

訓令式 拗音

~ャ~ュ~ョ
キャ行kyakyukyo
シャ行syasyusyo
チャ行tyatyutyo
ニャ行nyanyunyo
ヒャ行hyahyuhyo
ミャ行myamyumyo
リャ行ryaryuryo
ギャ行gyagyugyo
ジャ行zyazyuzyo
ビャ行byabyubyo
ピャ行pyapyupyo

訓令式の最大の特徴は、この規則性にあります。各行の子音が一貫しているため、サ行はすべて「s+母音」、タ行はすべて「t+母音」で統一されています。五十音図の構造がそのままローマ字に反映される設計思想は、日本語の音韻体系を学ぶ上で有用な視点を与えてくれます。

ヘボン式ローマ字 一覧表(新内閣告示 本表準拠)

2025年12月22日告示の令和7年内閣告示第4号に基づく「本表」のつづりです。社会で広く使われているヘボン式に準じた内容となっています。

ヘボン式 清音・撥音

ア段イ段ウ段エ段オ段
ア行aiueo
カ行kakikukeko
サ行sashisuseso
タ行tachitsuteto
ナ行naninuneno
ハ行hahifuheho
マ行mamimumemo
ヤ行yayuyo
ラ行rarirurero
ワ行wao(を)
撥音n

ヘボン式 濁音・半濁音

ア段イ段ウ段エ段オ段
ガ行gagigugego
ザ行zajizuzezo
ダ行daji(ぢ)zu(づ)dedo
バ行babibubebo
パ行papipupepo

ヘボン式 拗音

~ャ~ュ~ョ
キャ行kyakyukyo
シャ行shashusho
チャ行chachucho
ニャ行nyanyunyo
ヒャ行hyahyuhyo
ミャ行myamyumyo
リャ行ryaryuryo
ギャ行gyagyugyo
ジャ行jajujo
ビャ行byabyubyo
ピャ行pyapyupyo

ヘボン式では、英語を母語とする人が文字を見て日本語の音に近い発音をしやすいよう設計されています。たとえば「し」を「shi」と書くのは、英語の「she」と近い子音であることを意識しているためです。一方、サ行の子音が「s」と「sh」に分かれるため、訓令式のような行ごとの規則性はやや崩れます。

ローマ字にまつわる蘊蓄あれこれ

「ヘボン」は「Hepburn」の日本語読み

ヘボン式の名前の由来であるジェームス・カーティス・ヘボンの英語名は「James Curtis Hepburn」です。現代の感覚では「ヘプバーン」と読みたくなりますが、幕末の日本では「ヘボン」と聞き取られ、本人も漢字で「平文」と名乗っていました。ちなみに、女優のオードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)と同じスペルの姓です。

「し」の発音、実は日本人も「s」と「sh」を使い分けている

「し」を「si」と書いても「shi」と書いても、日本語話者にとっては同じ「し」です。しかし音声学の観点から見ると、わたしたちは「さ・す・せ・そ」を発音するときの子音(s)と、「し」を発音するときの子音(sh)を無意識に切り替えています。舌の位置が微妙に異なるのですが、日本語話者の頭の中ではこの違いは区別されていません。言語学ではこれを「異音(allophone)」と呼びます。ヘボン式はこの音声的な違いをつづりに反映した方式であり、訓令式は音韻的な同一性を優先した方式だと整理できます。

「なんば」の「ん」は、本当は「m」

「難波(なんば)」と声に出してみてください。「ん」を発音するとき、唇がくっつくはずです。これは「b」の前の「ん」が、音声学的には「n」ではなく「m」で発音されているためです。パスポートのヘボン式ルールでは、b・m・pの前の「ん」を「m」と表記する慣行がありますが(例:Namba、Homma、Sampei)、今回の新内閣告示では「ん」はすべて「n」で統一するとされました。「m」の表記は十分に定着しているとは言い難く、日本語話者にとって書き分けが難しいという判断があったためです。

大谷翔平の「OHTANI」はどの方式でもない

「おおたに」を新しい内閣告示に従って書くと「Ōtani」または「Ootani」になります。ユニフォームに記された「OHTANI」の「OH」は、王貞治選手の「OH」と同様、英語圏の読者に「おお」という長母音を直感的に伝えるための工夫と見られます。今回の告示では、人名や団体名については当事者の意思を尊重する方針が明記されているため、「OHTANI」はそのまま使い続けて差し支えありません。

「平家」はかつて「FEIQE」だった

1592年の『天草版平家物語』で「平家」が「FEIQE」と綴られていた事実は、安土桃山時代の日本語で「は行」が「ふぁ・ふぃ・ふ・ふぇ・ふぉ」に近い音だったことを物語ります。「け」がポルトガル語式に「QE」と表記されている点も含め、ローマ字はその時代の日本語音声を記録するタイムカプセルとして機能してきました。

漢字廃止論とローマ字

明治初期、近代化を急ぐ日本では「漢字は複雑すぎて教育の妨げになる」として漢字廃止論が唱えられ、代替の表記法として平仮名専用論、片仮名専用論とともにローマ字専用論も登場しました。もしローマ字が正式に採用されていたら、現在の日本語は漢字も仮名も使わず、すべてアルファベットで書かれていたかもしれません。結果としては漢字・平仮名・片仮名の併用体制が維持され、ローマ字は補助的な表記法にとどまりました。

改定がもたらす暮らしへの影響

学校教育

小学校の国語でローマ字を学ぶのは3年生です。これまで訓令式を原則として教え、ヘボン式にも触れる形でしたが、2026年度以降はヘボン式を基本に教える見通しです。ローマ字入力のキー操作は内閣告示の対象外であり、従来どおり「ti」で「ち」を入力する方法も引き続き使えます。

道路標識・駅名・パスポート

道路標識や鉄道の駅名表示は、すでにヘボン式が広く使われており、表記の大きな変更は生じないと見込まれます。パスポートも従来からヘボン式が基本です。ただし、長音符号がサーカムフレックス(^)からマクロン(¯)に切り替わるため、公共サインのフォント選定などには今後対応が求められる場面が出てくるでしょう。

行政・デジタル分野

デジタル庁を中心に進められている行政のデータベース整備において、氏名や住所のローマ字表記を統一する際の指針となります。これまでは訓令式とヘボン式が混在し、同一人物の氏名が異なるつづりで登録されるケースもありましたが、基本のルールが明確になったことで、表記のゆらぎ解消が期待されています。

すぐに変わらないもの

今回の告示は法的拘束力を持つものではなく、あくまで「よりどころ」として示されたものです。既存の看板や印刷物、定着した表記を直ちに変更する義務はありません。企業名や商品名、個人名についても、当事者の判断が尊重されます。

まとめ

ローマ字は、16世紀のポルトガル人宣教師から始まり、幕末のヘボン、明治の田中館愛橘、昭和の内閣訓令・告示、そして令和の改定へと、400年以上にわたって形を変えながら日本語とともに歩んできました。

2025年12月22日の内閣告示で、国のローマ字ルールは71年ぶりに刷新されました。ヘボン式ベースのつづりが「本表」として一本化された背景には、パスポート・道路標識・駅名などの現場ではすでにヘボン式が主流であるという実態と、国際的な場面での分かりやすさがあります。

一方で、訓令式が体現していた日本語の五十音の規則性は、言語学的な教材やローマ字入力の設計思想として今後も価値を失いません。今回の改定は「訓令式を否定する」ものではなく、社会の実情に合わせてよりどころを整理し直した措置です。

ローマ字のつづり一つをとっても、そこには日本語の音の仕組み、外国語との接触の歴史、言語政策の葛藤が凝縮されています。次にパスポートや駅名看板のローマ字を目にしたとき、その背景にある長い物語を少しだけ思い出していただければ幸いです。

出典・参考資料:文化庁「ローマ字のつづり方(令和7年内閣告示第4号)」、文化庁「ローマ字のつづり方に関するQ&A」(令和8年2月)、文化審議会「改定ローマ字のつづり方(答申)」(2025年)、外務省「ヘボン式ローマ字綴方表」

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